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嘉麻市立嘉穂小のペッギイちゃん(左)と糸島市立可也小のルースちゃん。人形を題材にした朗読・音楽劇で対面が実現した2体=2015年12月4日午後3時33分、福岡県嘉麻市

 昭和の初めに日米の友好親善を願って米国から贈られた「青い目の人形」はいまどうなっているのか――。福岡県小郡市の熊谷紀代さん(84)が九州を中心に人形の現況を調べ、「青い目の人形大使と渋沢栄一」を出版した。

 1927(昭和2)年、米国人宣教師のシドニー・ギューリック、実業家の渋沢栄一が人形を通して日米の友好親善を図ろうと取り組んだ。日本に届いた人形は約1万2千体で、全国の学校や幼稚園などに送られ、各地で大歓迎を受けた。日本からは答礼人形が米国に贈られた。

 41年12月に太平洋戦争が開戦し、「日本政府や軍部は、国民の反米感情や戦意を高めるために、あらゆる方法をとるようになります」(同書)。多くの青い目の人形が焼かれたり、壊されたりした。

約7年かけて取材・執筆

 熊谷さんが人形の存在を知っ…

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